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20歳代の頃の夢 漸く叶う! アジアンツアー [反省・感謝]

 ふと、思いだした。20歳代の頃に言っていた夢。
 「これからはアジアやロシアが発展していく。だからその過程を実際に見に行ってきたい。GWや夏休みを利用して、出来るだけたくさんのアジアの国々に行ってみたいと。
 叶っている今の自分の環境に感謝だね!<(_ _)>

 そこで、22歳の大学卒業の記念として、インド旅立った。2週間だけだけど。一緒にツアーに参加して行った人々は、皆個性的だった。そして帰国直前に変なチキンカレーを高級ホテル(コルカタのシェラトン?)で食べて腹痛に。ある女性は赤痢になったという知らせを聞いたけどさ。大変なところだったと実感した。
 就職してからも、「アジアンツアーをするんだ!」と言っていたけど、今度は時間がない。お金も徐々に余計な持ち出しが増えてきて、なかなかアジアンツアーに行けない。行っても、サイパン、サイパン、ハワイ、韓国って感じ。

 20歳代後半、そして30歳代になって、仕事で韓国へちょくちょく。現地の人々とも知り合いになり、交流を深めた。三星電子の仕事に行った際、当時のDoCoMoのmovaDを見せた際、その小ささとデザインに三星電子の人々は驚嘆し、「サンプルとして譲って欲しい。金ならすぐ出す!」と。ちょうど今のロゴマークを検討している時で、それに関係する仕事でした。うまくいくと、そのロゴマークデザインまで手掛けられたかも知れなかったけど、叶わなかった。
 現在のSAMSUNGだよ。世界携帯シェア第二位グループの。そこで、「次回に買ってくるからちょっと待っていて欲しい」ということで、実際妻名義で購入し、紛失ということで処理した。それにかかった費用はすべて三星電子が負担し、支払ってくれた。他にもいくつか日本の先進電子機器を買っていったけどね。Wonで払って貰い、金浦空港で、数百万Wonを数十万円に両替する際、とても面倒だったことを覚えている。日本人名義だと交換してくれないので、三星電子の社員が3人くらい付いてきて、それぞれの外貨持ち出しの限度まで交換したと覚えている。
世界携帯のSAMSUNGを育てたのは、実は私です! なんて・ね?
 他にも韓国の仕事はちょっとして、なんか国際ビジネスマンになったような気がして、少し嬉しかった。単なる国際的なドサ周りだったんだけどね。疲れたよ。
 結婚をして、愚妻を韓国と香港に連れて行って、ソウルには初めてビジネスクラスに乗ってみた。3倍の料金だったかな?愚息の存在を意識したのは、香港での愚妻のつわりのひどさだった。

 30歳代後半には、意に反して、ソフトウエア開発の仕事をさせられて、さらに反対したにも関わらず、英語版のソフトを開発させられて、売るはめになって、幾度もアメリカへ。そして売るために幾度もイタリア・ミラノへ。アメリカへはラスベガスのCOMDEXにも出店し、アトランタ、ロサンゼルス等へ。イタリアはいつも3泊5日の強行軍。往復28時間の飛行機移動。帰国後1週間は疲労性腰痛に悩まされたよ。マイレージは貯まったけどね。それとベネチアは良かったなあ。一人旅で寂しかったけど。(T_T)
 アジアンツアーには行けなかったというのが、30歳だったなあ。

 40歳代、独立し、大病を患い、試行錯誤の連続で、少し余裕が出てきてから(たいした余裕ではないけどね(>_<))、クレジットカード決済のポイントをマイレージに集約するようにして、飛行機代なしで海外に行けるようにしてから、時々海外旅行に行けるようになった。食事代とホテル代、タクシー代で済むので、半分くらいのコストになる。nwaの通算取得マイルは100万マイル超えてます。ミリオネアーだ!
 タイ、マレーシア、シンガポール、香港、中国、韓国、フィリピン、アメリカ、ハワイ、沖縄/石垣島 と行ってきた。

 お正月も幾度か、愚妻と愚息を連れてアジアで過ごしたし、昨年は冥土の土産!ということで、両親と義母も連れて行ってあげることが出来た。でも、もっと早く、若いうちに連れて行ってあげることが出来れば、もっと楽しんで貰うことが出来たかなぁ、と反省したけどね。

 40歳代はアジアンツアーしまくっているね。まだ行けていないのは、ベトナム辺り(+ラオス、カンボジア、ミャンマー)、バリも、オーストラリアも。ロシアだね。大学の第二外国語はロシア語だったけど、すっかり忘却!(^^;)
 時間とお金の余裕の限り、アジアンツアーをしまくり、見識を広めたい。そして世界を見てきたい。さらには、少しでもお役に立てればね。
 じゃあ仕事しないと。 周りに感謝しつつ!ね。
oiteiku asia.jpg

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baco

こんばんは
興味深く読ませて頂きました
良い経験なさってますね。歳とったら中々出来ない経験を・・・
私は転々と仕事を変わり、落ち着いたのが今の会社なんですが、
最初の仕事が、ゲストハウスで外国人技術者の身の回りの世話でした
技術者と言っても、テキサスの百姓アメリカ人でしたので楽でしたね(^^ゞ
ただ、発音が今までに習ったのと全く違う、テキサス訛りの米語で、
最初は何言ってるかさっぱりで苦労しましたが、毎日一緒に生活してると
段々分るようになるもんですね(笑)
初めての海外旅行は、ゲストハウスから今の職場に異動し休みが増え、
カナダ中西部をレンタカーで回りました。もちろんテキサス訛りの英語が
まったく通じず、コンビニでサンドイッチとか買って飢えを凌いでおりました
その後ダイヴィングに夢中になり、フィリピンとも関わりを持つようになり、
現地で知り合ったフィリピン人妻を持つ知人の紹介で、その妹の今の妻と
知り合い、策謀に見事に嵌り、結婚し現在に至っております(^^ゞ
初めて降りたったマニラは好きになりませんでしたが、バコロドを知り、
妻と巡り合ってからは、「ここで骨を埋めても良いなぁ」と思いました
私は10代の頃、ほぼ日本全国(沖縄と和歌山以外)を訪れており、
今後はabozoさん同様にアジアを見て回りたいと思っております
国によっては格安航空券の入手できない地域も多いのが実情ですが、
リタイヤしたら陸路で訪れてみたいと思っているんですよ(^^♪
旅の先輩であるabozoさんにこれからいろいろアドバイスをお願い
するかも知れませんがよろしくお願いしますm(__)m
by baco (2009-01-21 18:01) 

abozo

こんばんは。なんで先輩なんすか?bacoさん。
今日はこれからの夢=5.60歳代の夢、その後の夢、書いて無いので、今日明日にでもこれからの夢、書いてみます。
それはbacoさんのような夢になるんですけどね。bacoさんは素晴らしい奥さんをバコロドで見つけたからですよ!うらやましい!
by abozo (2009-01-21 18:53) 

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